2010年3月5日金曜日

VOCALOID KAITO/MEIKOのアップグレード停止について

「声」のキャラクター性について、
論文中ではあまり掘り下げられなかった。
VOCALOID KAITO/MEIKO正式解雇のお知らせに対するmixiの議論の中で、
「元々キャラクターではなく只のパソコンソフト」
というコメントがついていたが、
「声」を売った時点でそれはキャラを売りにしたのと同義だと思う。
ガーファンクルがあれだけ問題を起こしているにも関わらず
未だにサイモンとペアを組めている理由は、
「僕の曲にはガーファンクルの声が必要なんだ」
というサイモンの台詞が全てを物語っているように、
どんなに譜面や楽器が同じ
(この場合VOCALOIDというシステムだけをみればそれは楽器と同じだが)
でも、それが単にシステムの問題ではなく
個性のある声を前面に押し出したパッケージングである限り、
一つのVOCALOIDの声が他の新しいVOCALOIDで補えるかというと
そうではないわけで、
言うなれば映画撮ってる最中に主演女優が亡くなったみたいな。
そういう空虚さを内包した宣言であることにはかわりない。
逆に言えば、VOCALOID技術は決して失われるべきものではないが、
「声」というキャラクターを商品にしたソフトである限り、
制作者側の半永久的なサポートがないと判明すれば
結果的に廃れてしまうものであると思われる。
使い慣れた道具に対する愛着、
というものは多かれ少なかれあるが、
それが人格に対しての愛着であればその度合いは道具の比ではない。
人間の声という、否応無しに人格性をユーザーに与えるものを
売りにしてしまったのが、敗因といえば敗因といえるだろう。

1 件のコメント:

  1. リンク変更しました。
    これは社会学的テーマだから、じっくり温めて練り上げてものにしたほうがいいな。

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